諸般の事情をかんがみて、心のなかにうっすらと決めていた年間の目標読了冊数を低めに修正する。なかみのある読書ができていればいいのだ、冊数にこだわるなど下賤、という御仁もあろうし、もちろん異存はないどころか素晴らしく見上げた姿勢であると思うのだが、それを扱うのが仕事でもある以上、ある程度は読まないと全体に対する勘がにぶってくるのではないか、という不安があるのも事実である。というか、個人的にはその不安はまったくそのとおりである。読んでいないと興味が持続しないので、情報にあたる感度が弱くなり、結果棚が荒れる、重要な商品を取り逃がす。好きなものだけを読んでいると、それだけに気持ちが偏った棚になり、結果客が離れる。といった具合で、言い方は悪いが数をこなすのも職業柄必要なので、ちまちまと何冊読んだだの数えるのもなにかと思いつつ、記録をつけているのである。まあもうちょっと幅広く読んどかなきゃいけないんだけどね、ほんとはね。
 拾った子猫は元気に育ってます。

 萩尾望都の『音楽の在りて』を読んで、あまりのうまさにふるえる。奥付を見て目を疑ったが、とても30年前の作品とは思われない。才能とはこれのことなのか。

 給料日なので、野呂邦暢の『白桃』を買った。うすももいろの本をなでまわしていると、たいへん幸福な気持ちである。すぐに読んでしまうのはもったいないから、しばらくはなでまわすだけにしよう。でへへへへ。

 日々のもやもやもやを、主に猫をだっこすることによって解消しており、だっこ嫌いの猫だったらとっくに憤死してる。憤死しかけながら生き延びていくには、猫と酒と本が欠かせない。うちの猫は、別にだっこは好きじゃないけどしょうがない派です。

 最近、愛猫にお出迎えという機能がついたらしい。鍵を開けると、かなりの確率で玄関まで来ている。以前は帰宅時には熟睡していることも珍しくなかったので、これは格段の進歩といっても過言ではないだろう。引っ越しをしてふたつきほど経って、鍵の音→帰ってくる、という条件付けができたらしい。喜ばしいことである。しかし、そのあとしばらくつきまといが激しいので(トイレまでついてくることも)、半日放っておかれてストレスがたまっているのだとしたら、これは憂慮すべきことである。たっぷりともみくちゃにすることで解消できていればよいのだが。
 何が言いたいのかというと、もちろん、うちの猫ちょうかわいい、ってことです。