ひらめきとかひらめくとか言うけれど、それは何にも考えてないときに降りてくるような簡単なことじゃなくて、そのことについてずっと考えていて、ある瞬間にパッと回路が繋がって、何かがわかったり、何かを発見したり、そういうことなんだと思う。ということにこの年になってようやく気がつきました。だから考えなきゃだめなんだ。誰かが都合よくいいことを教えてくれるなんてこと、ないんだ。
 岩波文庫で『セワ゛ストーポリ』が復刊されていて、レジを打ちながら、むむむセワ゛ストーポリ……、発音は「バ」と「ヴァ」の中間か?などと思う。ロシア語のそんな感じの音ですよねたぶん。初めて見ました。
 最近本を読んでも「傑作!」とかあんまり思わなくなっていて、実際に読んでるものがあれだという可能性はさておき、斜に構えちゃってる部分がなきにしもあらず。でも、ほんとうに好きなものは少ししかないんじゃないか、その少しを探すために闇雲に本を読んでいるんじゃないか、運命の人はひとりだけどその人に会うためにナンパしたりお見合いパーティに行ったりするような真似をしてるんじゃないか(例え話です)、とも思うので、今年読んだ中ではおもしろかった、くらいのテンションでは「傑作!」とか言いたくないのです。あ、それがよくないのか。